
2020年3月11日に世界保健機関がCOVID-19を世界的大流行病であると宣言してからひと月後、関係者の責任についての激しい議論は、無事に収束した。予定表が突然白紙になってしまった人たちは、この降って湧いた「時間」をどうすれば良いかと考えた。お菓子作りの技術をマスターする?新しい言語を学ぶ?新しい事業を立ち上げる?
だが著述家のローリー・ペニー氏は、Wired誌の記事の中で異論を投げかけた。「今いる場所で巣ごもりできる幸運な人たち」が、「手にした時間を使ってポッドキャストや個人的計画を立ち上げたり、巧みな裏技を使ってお役立ちグッズを入手し、見せかけの普通の生活を演出したりしている」のはどうなのか、と。人は最も生産効率が高い時に最適な状態にある、という考えに対し、ペニー氏は大胆に反論したのだ。
「『生産効率』とは健康の同義語でもなければ、安全や正気の同義語でもない」とペニー氏は主張した。
理論上では、私はペニー氏に賛成していたかもしれない。しかし、多忙というのは、つねに私という人間の最もわかりやすい特徴だった。ほとんどの人と同様に、私は行動を有意義なものととらえていた。用事を片付けている時、私は世の中の、ひいては神の役にさえ立っているように感じた。
そういうわけで、2020年春、私はタイムマネジメント戦略を強化した。今までより多くの本を読んだ。やることリストは長くなった。家中すみずみまで掃除した。すべて、時間が余ったらどうしようという不安の波を押し返すためだった。現代において最も枯渇している資源にまつわるこのパニックは、時間不安と呼ばれる。
私の心は徐々に悪化の一途をたどった。
COVID-19の大流行が世界にもたらした数多くの心的外傷の中で、時間の体験の仕方が混乱したというのは、大きな一つに挙げられる。1年以上の期間が記憶の中ですっかり覆い隠され、時間は今や、コロナ前とコロナ後に分けられるようになった。ほんのわずかの神聖な瞬間に過ぎないとしても、私たちは時間は管理するものではなく、受け取るものだという感覚を身に付けた。そしておそらく、苦しむものとしての時間感覚も。
チャールズ・テイラー氏は「A Secular Age(世俗の時代)」の中で、この500年間のストーリーを語っている。500年前、古代人や中世人とは時間の認識の仕方が変わり始めた。その一つは、すべての時間が普通の時間になったという「世俗の」ストーリーだ。テイラー氏によると、1500年以来、時間の概念は変化して、彼が言うところの「排他的人道主義」の台頭に道を譲った。この恐れ知らずの新しい現代世界は、すべてを超越した、この世のものでない目的を失ってしまった。
私たちは神の存在にも、ましてや神に対する私たちの義務にも見向きもしない。今日、私たちは何に対して時間的義務を負っているかと言えば、もっぱら自分自身に対してであり、自分の仕事、自分の理想の家族、生きている間にやるべきことのリストに対してだ。このことから、なぜ私たちがこれほど時間を気にするのか、あるいはなぜこれほど時間に貪欲なのか、あらかた説明がつく。
かつて(たとえば中世の礼拝堂のような)神聖な場所があったように、昔は神聖な時間というものがあった。ギリシャ語でカイロスの時間と言われるものだ。この時間は1日とか1時間という標準化された単位のベールを超えて存在していた。実際、宗教改革以前には、この世の楽しみを否定し、自らを祈りに捧げるために、修道僧や修道女を頼みにするところがあった。彼らはその他の人々に代わって主の時間を生きた。
もちろん今日では、文字通り主の時間を生きる人は誰もいない。私たちに残されたのはクロノスの時間、つまり、一瞬の連続だ。「私たちは物事を成し遂げるために、この時間を測定し、支配しようとしている」とテイラーは言う。私たちの手元に残ったのは普通の時間だけ、そして、生産効率という容赦ないムチだけだ。まだその真偽が証明されてはいないが、今日の大前提としてあるのは、物事を成し遂げるのは間違いなく良いことだ、という前提だ。そうした「物事」の相対的価値や、遂行の過程で起こりがちなイライラなどは、ここでは考慮に入れない。
おそらく現代の最も重要な弟子訓練作業の一つは、私たちと時間との関係を立て直すことだ。そして、もっと適切に、もっと忠実に、もっと喜びと希望に満ちて、時間を生きるという習慣実践を奨励することだ。「崇高な時間」という習慣は、従来のタイムマネジメントのためのアドバイスやヒントや秘訣とはあまり関連性がなく、テクニックやツールとも関係がない。
より良い高度な機能性と、時間信仰の実践との間には、重要な違いがある。
崇高な時間という習慣は、賢い時間の使い方とはあまり関連性がない。カレンダーに記入する作業はあるかもしれないが、この習慣の大きな要素は、もう一人の著述家の言葉を借りるとすれば「幻を描く作業」だ。どんなに生産効率を上げようとしても、私たちの人生は霧に包まれ、やがて冬の日の吐息のように消え去る。私たちはやがて死ぬのだ。
預言者イザヤはこのことをこう表現する。「人はみな草のよう。その栄えはみな野の花のようだ」(イザヤ書40:6 聖書新改訳2017。以下同じ。)。私たちは始めたことをすべてやり終えることはできない。計画したことをすべて成し遂げることもできない。人生は寒さを増し、日は短くなり、体は死の風を浴びて秋の木の葉のように落ちていく。
ちりはちりに帰る。人生の限りある時間とそれが与えてくれるものについて、第2のチャンスはない。
イエスはそのような人についてのたとえを語っている。永遠というものを理解していない人の話だ(ルカ12:16–21)。この人は、全生涯をかけて富の蓄積に心血を注いできたので、その富を楽しむという快楽さえも後回しにしてきた。この裕福な人はついに待ち望んだ老後の生活に入り、南フロリダかどこかのプールサイドでのんびりくつろぎ、初めて平穏な時を過ごす段になった。「わがたましいよ、これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ休め。食べて、飲んで、楽しめ」(19節)。この人は愚か者だ、とイエスは言った。この人は時間の単位を知らなかった。何が失われていくか、何が残るのか、知らなかったのだ。
崇高な時間という習慣を実践するには、手放さなければならない考え方がある。それは、時間を道具と考えること、時間を願望として、商品として、消費すべきもの、無駄にすることができるものと考えることだ。崇高な時間という習慣においては、何をおいても効率を追求するということはしない。この習慣においては、ゆっくりと知恵が深まることを目論んでいるからなおさらだ。崇高な時間という習慣は、私たち一人ひとりを、時間について従来とは違う考え方をするよう促す。それはいわば、天国のような時間のかぐわしい流れであり、そこでは、神のみこころが遅れることも性急さもなく実行される。
生産性という王国において、目標はなるべく短時間でなるべく多くを成し遂げることだ。スピードは成功である。これとは対照的に、天の御国においては、実際に必要な時間を省略することはけっしてない。配偶者に先立たれた人を訪問し、社会から見捨てられた人を受け入れ、仕事のやり方を学び、夫婦関係を大事にし、子どもを育て、友情をはぐくみ、しっかりと整えられた人生を形成していく。
御国の時間が流れる世界では、時計が刻むせわしない音はあまり気にならない。そこでは静まるのもよし、小さいままでいるのもよし、昔も今もいつまでも神であるお方のもとを隠れ場とするのも、またよしである。
ジェン・ポロック・ミッシェル氏には5冊の著書がある。本稿は、そのうちの1冊である「In Good Time: 8 Habits for Reimagining Productivity, Resisting Hurry, and Practicing Peace(最善の時に:生産性を考え直し、性急さに抵抗し、平安を実践するための8つの習慣)」(Baker Publishing Group傘下のBaker Booksから2022年12月刊)の一部を編集したものである。
翻訳:立石充子
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