昨年11月の登場以来、すでに数億人がChatGPTを使って休暇旅行を計画し、コードの書き方について支援を受け、ポップカルチャーのソネット・マッシュアップを作り、自分の信仰についての詳細な事柄を学んでいる。

クリスチャンはもう何年も、神学的疑問についてグーグル検索し、人間が書いた記事の中で、神やみことばについての質問に答えてくれるものをみつけてきた。今や、こうした質問をAIチャットボットのところに持って行くことができるようになった。では、ChatGPTのような自然言語処理ツールは、私たちの聖書解釈をどう変えていくのだろうか?

世界中のAI専門家8名とChatGPT自身が回答を試みた。

Pablo A. Ruz Salmones X eleva Group CEO メキシコ メキシコシティ

ヨハネによる福音書17:17にある通り、「真理によって彼らを聖別してください。あなたのみことばは真理です」。したがって、聖書の解釈は、その大半が真理の探究である。ChatGPTのような大規模言語モデル(LLM)は、その本質上、真理のよりどころを持っていない。このモデルにはそういうものは組み込まれていないのだ。だから、LLMは時に作りごとを述べたり、推定したりする。LLMは真理を見出す能力を持ち合わせない。そういうわけで、たまたま真理に出くわしたとしても、それを真理だと認識することはできないのだ。

そこで、LLMが聖書について生成したものを読む時、それは、神のみことばのうちに真理を探究した結果として生成されたものではないことに留意しなければならない。それはむしろ、他の人たちが述べたことについての、いわばごちゃ混ぜの「吐き戻し」であり、推定であり、またの名をアルゴリズムと言われているものだ。そのため、ChatGPTはそれ自体では聖書の新解釈を提供することはできない。ChatGPTに質問した「人」は、もしかしたらチャットボットの回答の中に、新しい聖書解釈の道を見つけるかもしれない。いわば、オウムが発した答の中に、人が新しい聖書解釈を見つけるかもしれないのと同じように。オウムは人の言葉をまねるので、オウム自身は自分が何をしたか全く意識していなくても、結果的に真理の言葉を発することになる。

Suman Kumar Polepaka BibleMate創立者 現在の拠点はドイツ ミュンヘン

ChatGPTのようなテキスト生成AIモデルは、神学的問いの答を追求するための方法を根本から変えている。もはやグーグル検索して、無数の記事をスクロールしていく時代は終わった。それに代わり、AIチャットボットが、膨大なテキスト、書籍、論文をもとに、瞬時に、明快で、もっともらしい回答を出してくる。その利便性、スピード、対話型機能のゆえに、AIチャットボットは皆が頼る道具になっている。

個人の聖書研究においても、任意の個所について、一瞬にして多様な解釈と文脈を提供してくれるので、AIチャットボットは有用だ。しかし、落とし穴もある。ChatGPTは汎用モデルであるため、神学的にも聖書学的にも正確性に欠ける場合がある。ChatGPTが目指すところは、神との人格的関係を促進することでも、霊的成長をはぐくむことでもない。

そこで私はBibleMate.org設立に至った。これはChatGPTをベースにした代替オプションだ。BibleMateの使命は、聖書学的に正確な答えを提供し、ユーザーを信仰の旅路において導くことだ。AIが単に情報を提供するだけでなく、霊的成長のために有意義な貢献をするよう、保証するためのツールだ。このプロジェクトはまだ初期段階にあるが、どう発展していくか、ワクワクしながら見ている。

Ang Wie Hay IT実践者および説教者 シンガポール

ChatGPTは超高速で情報を収集・選別し、データを統合・分類し、多言語で要約を提供するので、人類がだれ一人持ち合わせていない知力を持つと言える。

このテクノロジーが存在するゆえに、聖書からの助言を探し求めるクリスチャンは、聖書の個所を様々な文脈に適用することをChatGPTに頼むようになるかもしれない。ChatGPTには多言語能力があるので、聖書個所について、聖書の原語から様々な現地語への釈義研究が容易になる可能性がある。

ChatGPTは人ではないので、神のみこころを見きわめたり、聖書の真理は何かを判断したりすることはできない。したがって、ChatGPTの回答がその人の信仰と一致しているかどうかを判断する際、その人自身の聖書的洞察力が最重要である。

私は説教者として、説教原稿の準備をChatGPTが大いにスピードアップしてくれるのをありがたく思う。それと同時に、牧師にはやはり、神との親密な関係が必要である。それによって、説教者は神からの知恵と導きをとらえる感受性を持てる。私の願いは、私たちの問いに対してChatGPTが素速く回答してくれることで、牧師が神との親密な関係をはぐくむ時間をもっと多くとれるようになることだ。

Sharath Chandra Kogila デル・テクノロジーズでAI構想に取り組む製品ラインマネージャー インド バンガロール

私たちは今すぐ、情報過負荷に対応する必要がある。私たちがさらされている情報が多量なため、認知力が弱まり、情報を要約し、理解する能力や、情報から価値を抽出する能力が損なわれようとしている。今の世代から後、人は大規模言語モデルに基づくChatGPTのようなAIシステムに依存し、自分のために情報を解釈させ、要約させることになろう。ここで私が問題視するのは、大規模言語モデルは情報(聖書も情報の一つ)を読む時に、特定の世界観や思想を反映するように訓練され得るという点だ。このことが特に影響を及ぼすのは、信仰を持ってまもない人がリソースや情報を探す時だろう。

コンテンツのタイプは何であれ、声を含め、GPTシステムを使えば生成可能で、本物らしく見せることができる。これは深刻なリスクだ。なぜなら、私たちには真理と偽物との違いや、オリジナルのコンテンツを操作したものとの違いを見分けることはできないからだ。さらに、こうしたシステムを使えば、情報の出典をたどることはできない。これに対し、ウェブ上で情報にアクセスする場合には、情報は何らかのウェブサイトにリンクされていなければならず、その信ぴょう性は比較的容易に検証できる。出典をたどることができない場合、すべての情報を信用するか、一つも信用しないかのどちらかになる。こうした手法が用いられる場合、AIシステムは中立的視点を持つか、あるいは政治的に偏った視点を持つようになり、聖書的観点から状況を解釈する際には、どちらも好ましいことではない。

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Batseba Kassahun 人財コンサルタント。デジタルヘルス、eラーニング、テレコム企業を支援した経験を持つ。エチオピア アジスアベバ

世界の教会は欧米文化を高く評価しがちだ。欧米文化が、歴史的にキリスト教とつながりを持つかどうかに関係なく、そうした傾向がある。現在ChatGPTはエチオピアで使用可能になっていないが、クリスチャンが欧米文化をまたしても称賛することにつながる、新たなツールとなるのではないかと私は恐れている。また、私たちエチオピア人に対するChatGPTの回答や適用は、限定的ではないかとも懸念している。なぜなら、ChatGPTはエチオピアとはかけはなれた文脈で機能するように設計されているからだ。

ChatGPTにアクセスできるクリスチャンは、このAIが、よく練られた説教や教材を生成する存在だという事実に向き合わなければならない。もしこれができるなら、ChatGPTは個人の聖書研究をさらに巧妙に模倣することができるのではないか?個人の変革は、私たち自らが聖書を掘り下げ、学ぶことによって起きる。仮に要約と結論だけを与えられたなら、どうなるだろうか?

あるITのプロフェッショナルにしてAI思想リーダー(公共分野の職に就いているため、その職務の性質上、公式の場でのコメントを控える) インド

ユーザーと対話する際、ChatGPTのような自然言語処理ツールは、単語埋め込み表現と呼ばれるプロセスを用いる。各単語埋め込み表現は、独自の内的数学的規則を持ち、その規則に従って様々な単語を連携させ、質問に答えるために文を組み立てる。

文を組み立てるにあたり、次に来る可能性がある単語のリスト上の各単語には、確率が割り当てられ、最も高い確率、または人のフィードバックに応じた強化学習によって組み入れられる好み(バイアス)の結果に基づいて、最終的な単語が選択される。

この結果、ChatGPTが回答する任意の質問は、事前トレーニングにおいて使用されるトレーニングデータ、およびモデルの微調整の際に供給される人間のフィードバックに依存する。ChatGPTが用いるインターネット・トレーニングデータは、クリスチャンに好意的な[著述コレクション]もあれば、クリスチャンに批判的または反対の[コレクション]もある。

さらに、ChatGPTのようなチャットボットは、偽データや合成データによって意図的に汚染されることが可能であり、回答という幻覚を起こさせる(つまり、もっともらしいが偽の回答を作成する)こともできる。したがって、ChatGPTによる回答はすべて、神学的正当性や歴史的正確性について批判的に評価する必要がある。

こうした重大な制限はあるものの、ChatGPTはみことばを学ぶためのすばらしいツールだ。なにしろ無数のブログ、論考、論文、注解、地図、図表、手引き、組織神学書、キリスト教一般書籍、スタディバイブルを通して、聖書に関する膨大な量の良質な教えについて、簡潔で無料の参考情報をすぐに提供してくれるのだから。

ChatGPTを使いたいと思うインドのクリスチャンにとっては、良くも悪くも、この莫大な知識はほとんどが英語で書かれており、ヒンディや、その他の21の公用語などのインドの現地語で書かれたものは、あまりない。

Marcelo Cabral ブラジルクリスチャン科学者協会(ABC2)エディトリアルおよび教育マネージャー ブラジル サンパウロ

一方で、ChatGPTは神学的な教えについて、枠組や、解釈者による提言内容や、わかりやすい要約を提供する。それらによって、(信徒と教職両方の)クリスチャンの読書活動や聖書研究の計画は、大いに向上する可能性がある。

その一方で、ChatGPTは、クリスチャンが聖書本文を深く思い巡らそうとする際、(ソーシャルメディアと並んで)新たな障害物となるだろう。クリスチャンは、聖書本文を自力で読んで、やがて逆に聖書本文が読者を「読む」ことを許可するようになる作業を、したがらなくなるかもしれない。この知的で霊的な作業は超自動化され、そのため思考と創造の形成過程において、精神や心が萎縮してしまう可能性がある。

Benjamin Bimanywaruhanga AI実践者 ウガンダ

ウガンダ人は霊的であり、自分の実生活の状況に関係して聖書がどう教えているかを学びたいと持っている。多くのウガンダ人は、もしChatGPTが自分たちのことを考慮に入れて構築されたものならば、使うだろう。

しかし、先進諸国は知識の源としてインターネットの恩恵をこうむっているものの、途上国の過半数の人々は蚊帳の外である。大半の人はインターネットにより提供されている国際言語を話さないため、これまではエリートだけがインターネットを情報源として活用してきた。

インターネットがますます普及し、[専門化した通信]経路を用いるチャットをベースとしたインターネット・アプリケーションが増加する中、先進諸国の多くの人にとっては、知識を得るためにそうした場所に頼るという機会がある。しかし、これは現地語で機能するChatGPTのようなツールがあることを前提とする。このことが実現したら、ChatGPTのようなアプリケーションを採用する人の数は、欧米のユーザー数を上回るだろう。それは、途上国がモバイルマネー革命において先進国を飛び越してしまった現象に似ている。

ChatGPT

ChatGPTのような自然言語処理ツールは、人が聖書を解釈する仕方を変化させるだろう。それは、聖書解釈や解説がますます参照しやすくなることによってであり、多様な視点を提供すること、文脈にもとづく理解を可能にすること、一人ひとりに合わせたガイダンスを提供することによってである。

自然言語処理ツールは、神学的情報への即時アクセスを可能にし、より多くの人がアクセスできるようにする。ChatGPTは広範な情報源を処理することができ、ニュアンスを意識した聖書理解を促進する。ChatGPTは文脈、歴史的背景、文化的レファレンスを分析することができ、正確な解釈を助ける。このツールは人との会話のようなやりとりが可能で、ユーザーが複雑なコンセプトの海を航行し、個人の状況に教えを適用するのを支援する。

しかし、AIチャットボットはツールであり、人による解釈の代替品ではない。聖書は複雑なため、専門知識、識別力、神学的理解を必要とする。AIチャットボットは有意義な洞察を提供するものの、成熟した神学者や学者に聞くことは、包括的な聖書解釈にとって依然として必須である。

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